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【2月:2・26事件】クーデター未遂と戒厳司令部の舞台を歩く

 

都心に点在する22・6事件の舞台

 何気なく歩く都心の道は、昭和11年2月26日に国家を揺るがした惨劇の舞台でした。この記事では永田町や赤坂に点在する「22・6事件」の跡地を実際に歩いて回る散策ルートを紹介します。記事を読むことで、教科書の中の事件がリアリティを持って迫り、今も残る遺構の現状が詳しく分かります。見慣れた都会の景色が知的好奇心を刺激する特別な場所へと変わるでしょう。

この記事を読んで分かること

・アクセス情報

・226事件の舞台の散策ルート

・周辺のグルメ情報

目次

主な地点のアクセス情報

●戒厳司令部:軍人会館(現・九段会館テラス): 
 ・ 東京メトロ半蔵門線/東西線・都営地下鉄新宿線「九段下駅」4番出口 徒歩約1分

●山王ホテル跡(現:山王パークタワー): 

 ・東京メトロ銀座線/南北線「溜池山王駅」 直結
 ・東京メトロ丸ノ内線/千代田線「国会議事堂前駅」 直結

2・26事件とは

 昭和11(1936)年2月26日陸軍の青年将校らが岡田啓介内閣総理大臣、斎藤実内大臣らを襲撃した上、首相官邸・陸軍省・参謀本部などが集中する東京の麹町・三宅坂一帯を占拠し、「国家改造」を要求するというクーデターが発生しました。斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監が殺害され、鈴木貫太郎侍従長が重傷を負いました。27日東京市に戒厳令が施行され、29日、青年将校らは反乱軍として鎮圧されます(国立公文書館サイトを参考)。

散策ルート

戒厳司令部:軍人会館(現・九段会館テラス)から渋谷地方合同庁舎

A:戒厳司令部:軍人会館(現・九段会館テラス) →「九段下駅」から半蔵門線で「永田町駅」下車徒歩1キロくらい B:首相官邸(旧官邸) →徒歩450mくらい C山王ホテル跡(現:山王パークタワー)→徒歩400mくらい D赤坂プルデンシャルタワー(旧料亭「幸楽」跡)→徒歩1200mくらい E高橋是清翁記念公園 →徒歩850mくらい F東京ミッドタウン (旧・歩兵第1連隊跡)→徒歩600mくらい 国立新美術館 別館(旧・歩兵第3連隊跡)→徒歩1900mくらい 賢崇寺(けんそうじ)→「麻布十番駅」から半蔵門線で「渋谷駅」下車徒歩900mくらい 渋谷地方合同庁舎 二・二六事件慰霊像

※上画像はB:首相官邸(旧官邸)からH:賢崇寺までの徒歩マップ。A:戒厳司令部:軍人会館(現・九段会館テラス)からB:首相官邸(旧官邸)と、H:賢崇寺(けんそうじ)からI:渋谷地方合同庁舎 二・二六事件慰霊像は電車を想定

鎮圧の拠点

A:戒厳司令部:軍人会館(現・九段会館テラス)

 九段会館は、昭和 3 年(1928)昭和御大礼記念事業の一環として建設が計画され、昭和 9 年に竣工・落成しました。設立当時は「軍人会館」と呼ばれ、昭和 11 年の2・26事件が勃発した際には戒厳司令部が設置されるなど、激動の昭和史に大きく関わった施設です(九段会館特別展チラシより)。2月27日に戒厳令が布告されると、ここに戒厳司令部が設置されました。反乱軍が占拠した建物を見下ろす位置にあり、ここから鎮圧命令が出されました。建物のうち正面にあたる北側と内堀通りに面する東側が保存されています。「帝冠様式」と呼ばれ昭和初期の設計手法をよく示し「登録有形文化財」に登録されています。

↓「九段下駅」から半蔵門線で「永田町駅」まで乗り、下車徒歩1キロくらい

義弟と間違われ逃れる

B:首相官邸(旧官邸)

 首相官邸の隣にある「旧官邸」が襲撃現場です。岡田啓介首相を襲撃しましたが、義弟の松尾伝蔵と間違われ、難を逃れました。厳重な警備体制です。

↓徒歩450mくらい

反乱軍本部

C:山王ホテル跡(現:山王パークタワー) 

 山王ホテルは戦前、東京を代表する近代的ホテルの一つとして知られていました。反乱軍が占拠し、彼らの「反乱軍本部」となりました。山王ホテルは戦後、駐留軍施設から四十四階建ての山王パークタワーとなりました。映画「226」では梅宮辰夫が支配人役をやっていました。

↓徒歩400mくらい

こちらも本部

D:赤坂プルデンシャルタワー(旧料亭「幸楽」跡)

 山王ホテルとともに決起部隊の本部となりました。料亭「幸楽」の廃業後は、ホテルニュージャパンとして復活し、さらにホテルが火災によって焼失したあとは、三十八階建てのプルデンシャルタワーになりました。

↓徒歩1200mくらい

だるま宰相

E:高橋是清翁記念公園

 金融界の重鎮、大正から昭和初めにかけて首相、蔵相などをつとめた「高橋是清」の邸宅があったところです。2・26事件によりここで世を去りました(83歳)。没後、昭和13(1938年)高橋是清記念事業会がこの地を東京市に寄附し、昭和16年市が公園として開園、その後昭和50年港区に移管されました。国道246号線の拡幅等により開園当初よりやや減っていますが、庭園はほぼ当時のままです(現地案内板要約)。

↓徒歩850mくらい

庭園内に檜が多かった

F:東京ミッドタウン檜町公園(旧・歩兵第1隊跡)

 この公園付近は、江戸時代萩(長州)藩毛利家の屋敷でした。庭は「清水亭」とよばれ、当時の名園の一つでした。邸内に檜の木が多かったことから「檜屋敷」と俗称されました。明治17(1884)年各地に分屯していた第一師団歩兵第一連隊各大隊(226事件に参加)がこの地へ結集し、第二次世界大戦の終戦までその駐屯地でした。戦後、都立公園として開園し、移管を受た港区で管理している。(現地案内板要約)。

↓徒歩600mくらい

戦前近代建築

G:国立新美術館 別館(旧・歩兵第3隊跡)

 1928(昭和3)年に旧陸軍第一師団歩兵第三連隊の兵舎として建設されました。独立した階段を中心に合理的・機能的に配置された居住単位、「日」の字を形取り配置された建築構造、アールデコ調のデザインを取り入れた外壁など、モダンな建物として、戦前近代建築の中で注目すべきものです。昭和37年から東京大学生産技術研究所が使用しました。国立新美術館建設に伴い、一部が保存され、内部を改装の後、国立新美術館別館として活用されています(現地案内板要約)。


↓徒歩1900mくらい

二十二士のお墓

H:賢崇寺(けんそうじ)


 肥前佐賀藩主鍋島勝茂が、寛永12(1635)年天然痘で死んだ嫡子忠直の菩提を弔うために創建した寺院です。江戸における鍋島家の菩提寺となりました(現地案内板より)。226事件の決起部隊は反乱軍とされて鎮圧され、17名が処刑されました。この事件に関わった二十二士のお墓がここにあります。

↓「麻布十番駅」から半蔵門線で「渋谷駅」下車徒歩900mくらい

処刑上の一角

I:渋谷地方合同庁舎 二・二六事件慰霊像

 226事件の首謀者中、野中、河野両大尉は自決、香田、安藤大尉以下19名は軍法会議の判決により東京陸軍刑務所に於て刑死しました。この地はその陸軍刑務所跡の一隅であり、刑死した19名と、それに先立つ永田事件の相澤三郎中佐が刑死した処刑場跡の一角です(現地案内板要約)。

周辺のグルメ情報

SAPANA赤坂見附店

 山王ホテルとともに決起部隊の本部となった赤坂プルデンシャルタワーの1階にあります。「SAPANA」はヒンディー語で。インド、タイ、ベトナム、ネパール、韓国など、アジアエスニック料理をメインに提供しています。カレー3種セットをいただきました。下記の写真に加えタンドリーチキンとシシカバブが付いてきます。

とんかつ & 焼鳥 An

 山王ホテルとともに決起部隊の本部となった赤坂プルデンシャルタワーの隣の敷地です。かつて永田町においてとんかつ・揚げ物で名を馳せた「赤坂 フリッツ」を築き上げた齋藤元志郎氏監修です。

おわりに

 東京の街並みの中に二・二六事件の跡が刻まれています。歩兵連隊の駐屯地や、事件に関わった兵士が眠る寺、そして処刑場跡。これらを実際に歩いて巡ることで、教科書の中の出来事がリアリティを持ちます。都心の「歴史の断片」を探しに、ぜひ足を運んでみてください!

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