日野宿会場を紹介
5月11日は土方歳三が戦死した日。「ひの新選組まつり」は、新選組副長・土方歳三の命日に合わせ、日野市で毎年開催されるイベントです。隊士パレードや武道演武など、新選組ファンにはたまらない企画が盛りだくさん。歳三の生家や資料館を巡り、新選組の歴史に触れる散歩もおすすめです。まつりは高幡会場でも行えますが、本ブログは日野宿会場をご紹介します
アクセス情報
JR中央線日野駅下車徒歩2分
新選組について
文久三(1863)年、幕府は将軍家茂の上洛にあたりその警護役の浪士を募りました。近藤勇、土方歳三、沖田総司等は応募し京都に向かいました。京都到着後、幕府は清河八郎の策動に驚き浪士組に帰東を命じましたが京にとどまり京都守護職・会津藩主松平容保預かりの帝都治安部隊「新選組」となりました。その後、池田屋事件や蛤御門の変で活躍しましたが、時代は日々幕府に背を向けていき、徳川慶喜が大政奉還、王政復古の大号令が発せられると薩長の強引な追討方針に旧幕府側が反発し、鳥羽・伏見の戦いが開かれました。旧幕府側・新選組は大敗、その後近藤勇は捕縛され沖田総司は病没。土方歳三は新政府軍との交戦を続け、戊辰戦争最後の戦場「函館五稜郭防衛戦」で、戦死しました。
おすすめ散策ルート
JR日野駅 → 徒歩200m ①(A)宝泉寺 → 徒歩300m ②(B)日野八坂神社 → 徒歩350m ③(C)井上源三郎資料館 →徒歩70m ④(D)北原とんがらし地蔵 → 徒歩300m → ⑤甲州街道日野宿問屋場、高札場跡(図書館) → 徒歩50m → ⑥(E)日野宿交流館 → 徒歩60m → ⑦(F)日野宿本陣(脇本陣跡) → 240m → ⑧(G)佐藤彦五郎新選組資料館 → 徒歩230m ⑨(H)大昌寺 →徒歩120m ⑩日野用水上堰開渠→ 徒歩700m ⑪(I)新選組のふるさと歴史館 → 徒歩1.7キロ甲州街道駅から一駅、万願寺駅下車徒歩250m → ⑫土方歳三資料館(生家跡)
井上源三郎の墓所
①(A)宝泉寺
臨済宗建長寺派の寺院で、本尊は釈迦如来です。1329年(元徳元年)に開創されました。新選組六番隊組長・井上源三郎の墓所や、市指定有形文化財の「涅槃図」などがあります。当初は現在地より西にありましたが、滝山合戦で焼失したため、現在の場所に移転・再建されました。 その後も天正年間に火災に遭い、貴重な記録や建物を失いました。江戸時代に入ると、徳川三代将軍家光から十四代家茂に至るまで、手厚い保護(税の免除などを示す御朱印状の授与)を受けました。近年でも、2001年に本堂、2023年に客殿が再建されるなど、現在に至るまで大切に護持されています(現地案内板を要約)。


天然理心流の門人が奉納した木刀
②(B)八坂神社
本殿は1800年(寛政12年)に建てられたもので、装飾的な屋根(千鳥破風・軒唐破風)を持っています。白木の浮き彫りなど、江戸時代後期の優れた彫刻技術が見られる華麗な建物です。
3枚目の写真は、新選組局長・近藤勇の養父である近藤周助(天然理心流)の門人たちが奉納した大小2本の木刀が架けられた欅(けやき)の額です。額には、後の新選組局長となる近藤勇(当時の名は嶋崎勇)や、沖田総司(当時の名は沖田惣次郎)の名前が刻まれています。土方歳三は当時まだ正式入門していなかったため、名前はありません。 額に名を連ねる井上源三郎(新選組六番隊組長)らの子孫は、現在も近藤勇の子孫と共に組織を作り、天然理心流を受け継いでいます。



新選組 副長助勤・六番隊長
③(C)井上源三郎資料館
井上源三郎は1829年(文政12年)に日野宿で生まれました。天然理心流を学び、1863年に浪士組として上京後、新選組の副長助勤・六番隊長として活躍しました。1868年(慶応4年)の鳥羽伏見の戦いにて戦死しました。
資料館では八王子千人同心だった兄の松五郎に関する資料を展示しています。主な展示品として、源三郎の天然理心流免許、近藤勇から松五郎へ贈られた刀、土方歳三から松五郎への手紙などがあります。



目の病気にご利益
④(D)北原とんがらし地蔵
「とんがらし地蔵」または「ヤンメ地蔵」と呼ばれています。眼の病気を患っている人が「赤とうがらし」を供えるとご利益があると言われています。地蔵の礎石には、1766年(明和3年)に建てられたことなどを示す文字が彫られています。自然に穴のあいた「穴あき石」が約100個供えられていますが、その理由はわかっていません。「沖田総司がよくお参りに行った」と日野新選組マップにあります。

上・下両佐藤家が問屋
⑤甲州街道日野宿問屋場、高札場跡(図書館)
日野図書館の建っている場所は昔、甲州街道日野宿の中心で、問屋場(人馬の継立業務で、公用旅行者や大名等に必要な馬や人足を用意し、荷物を次の宿場まで運ぶ。日野宿では上・下両佐藤家が問屋を務めました)・高札場のあったところです。

観光案内所や物産販売
⑥(E)日野宿交流館
日野宿交流館は、現在の甲州街道の宿場町であった日野宿のほぼ中央の位置に設置されました。館内には観光案内所や日野宿の歴史や文化を紹介する展示室市民活動などに利用していただける会議室があります。また新撰組グッズや日野市の物産の販売も行っています(パンフレット要約)。

元は脇本陣、幕末に本陣
⑦(F)日野宿本陣(脇本陣跡)
江戸時代末期に、日野宿の名主(村の長)を務めていた下佐藤家の住宅として建てられました。1849年(嘉永2年)の火災で焼失した後、1864年(元治元年)に再建されたものです。下佐藤家は正保年間(一六四四~四八年)頃に名主に取立てられ、元々名主であった隣の上佐藤家と共に交代で名主を勤めてきたといわれます。また正徳六年(一七一六年)に上佐藤家が本陣、下佐藤家が脇本陣と定められていたが、幕末には下佐藤家も本陣を称しています。東京都内に現存する唯一の本陣建築です(現地案内板要約)。




新選組中心メンバーが出稽古
⑧(G)佐藤彦五郎新選組資料館(佐藤道場跡地)
資料館は、天然理心流 佐藤道場跡に建てられました。道場は日野宿の名主であった佐藤彦五郎が、地元の若者を集めて剣術の稽古を行ったのが始まりです。彦五郎自身も天然理心流を学び、嘉永7年に極意皆伝の免許を取得しました。
この道場には、近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎といった、のちに新選組の中心メンバーとなる若者たちが江戸から出稽古に訪れていました。
彦五郎の妻は土方歳三の姉であったため、彦五郎は歳三の義兄にあたります。道場主としてだけでなく、多額の資金援助を行うなど、新選組の強力な後援者として大きな役割を果たしました(案内石碑要約)。

佐藤彦五郎と土方の姉の墓
⑨(H)大昌寺
佐藤彦五郎と妻ノス(土方歳三の実姉)の墓があります。


大昌寺の裏の川
⑩日野用水上堰開渠
今は暗渠となり見ることができない大昌寺北側の日野用水上堰は、通称「裏の川」とも呼ばれていました(現地案内板要約)。

新選組の通史
⑪(I)新選組のふるさと歴史館
新選組と新選組が活躍した幕末に焦点を当てた歴史館です。常設展では「新選組・新選組と日野」をテーマとして新選組の通史を展示しています。

青春時代を過ごす
⑫土方歳三資料館(生家跡)
もともとの生家は現在地より約300メートル東(石田寺の北方)にありましたが、1846年(弘化3年)の大洪水で被害に遭い、残った建物を現在の場所に移築しました。歳三は12歳で被災した後、1863年(文久3年)に新選組(浪士組)として京都へ上洛するまでの青春時代を、この移築された家で過ごしました。 敷地内には歳三が自ら植えたとされる「矢竹」が茂り、家屋には相撲の稽古に使った「大黒柱」や、愛用した遺品などが保存されています(現地案内板要約)。⑪の新選組のふるさと記念館からは少し遠い場所にあります。




グルメ情報
駅近です
トラットリア・Eccolo
旧甲州街道沿いで日野駅から徒歩2分くらいです。ランチをいただきました。


関東ではここだけ
銀座ウエスト 日野工場直売店
同ブランドの工場直売店は、山梨の一宮にある店舗とこちらの2店舗のみです。通常の価格から全品10%オフで販売されています。季節限定の缶で購入しました。



おわりに
「ひの新選組まつり」に合わせて巡りたい日野宿会場周辺のおすすめ散策ルートをご紹介しました。宝泉寺から土方歳三の生家跡まで歩を進めるごとに、新選組隊士たちが過ごした青春時代の息遣いや、幕末の動乱期を生き抜いた彼らの熱意を感じることができます。歴史探訪の合間には、駅近の美味しいイタリアンでのランチや、特別感のある工場直売店でのスイーツ選びなど、日野ならではのグルメも散歩の満足度を高めてくれます。新選組ファンの方はもちろん、歴史や街歩きが好きな方も、ぜひ彼らのふるさとである日野宿で、幕末のロマンに思いを馳せる1日を過ごしてみてはいかがでしょうか。
